映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」感想。俺は愛が欲しかった。【ネタバレあり】

さて、見てきましたよ、ドラクエ映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」

 

もうここまで来て、ネタバレなしで語るのは意味ないと思うので、ガンガン内容も触れまくって行きたいと思うので、そこらへん気になる方は、一旦回れ右してまた映画を見たら来てみてくれ!

 

まず全体的に感じたのは、そこに愛はなかった、よ。

 

少なくとも自分はこの作品の製作者、まぁ言われている通り監督が占める部分が多いのだろうけど、ドラクエ5に対して愛を持っているようには感じられなかった。

 

正直作りは上手いと思う。たぶん多くの作品を任されているということもあり、作るのは上手いんだと思う。でも愛はないよ。ただ上手いだけ、しかも表面上。

 

映画全体のまとめ方とかはぼやっと・ふんわりと・ふわっと・おぼろげに、見れば悪くないと思う。そう悪くないと"思うようにできている映画"だった。

 

ラストはおいておいて、そこまでの道のりも映画の尺にしっかりとドラクエ5の内容が入ってるし見せ場もある。主人公の心の成長や動きもつながってはいるし、見て取れる。最後に盛り上がりを持ってくるための流れがあるし、ちゃんと盛り上がる。

 

音楽も5以外から使ってるのはどうなのかって話がよく出てるけど、そこらへんはぶっちゃけファンしか劇場でみたタイミングで「これ6の曲じゃね?」みたいなのわからないと思うし、内容にあってればそれはそれ無しではないんじゃないかとも思えてくる。

 

推測でものを言っちゃって申し訳ないけど、そういう作りをするのが得意な人なんじゃないかな。器用貧乏というか、さっとまとめるのが上手い。

 

でもそれだけ。

 

だから、深く知ってる人や原作に愛を持ってる人が細かい点をみると不満がでてくる。

 

まぁとはいえ、なんと言ってもラストだよね。

 

あれ要る?要らないよね?

 

で、ここで考える。なんで入れたのか。作った人間はなんでアレが要ると考えたのか。

 

あれをわざわざ入れたってことは、それが一番言いたかったこと、なわけだよね。

 

「ゲームなんて虚構」

 

が、言いたい。

 

んでもって主人公が

 

「それでもその時の思いは嘘じゃない」的な事言う。

 

これが、この映画の主題。

 

要らん、要らんよ。そんなもん。ドラクエ5でやらんでくれ、勝手にオリジナルでやれよ。

 

だってドラクエ5という作品にはそもそももとから主題があるわけだよね。親子の物語というかなり濃密なやつが。その中で、主人公が勇者ではないという王道からはずれた驚きを生み、主人公の結婚という一大イベントを発生させ、それらがうまくリンクして一つの物語を紡ぎあげているわけだ。

 

その最大の魅力たる主題がある物語に、全然関係ない別の、監督の単なる自己主張的な、既存のファンの気持ちも考えず、しかも世界観はぶち壊すものを持ってきたらさ、そりゃ怒る人もでるし、何よりも薄くなるじゃん?薄っ薄のペラッペラやん?何を言っても説得力は無くなると思うんだよ。少なくとも自分にはまったくその主題が刺さって来なかった。

 

ドラクエを使って「ゲームは虚構」をやりたいなら、せめてドラクエの許可を得たオリジナルでやるべきだったと思う。しかもちゃんとそこが主題となる道筋を作って。

 

それでも炎上はしただろうけど、でもそれならまだやりたいこと言いたいことの理屈は通ってる。合う合わないはあるだろうし、それでもドラクエを使うなって意見はでるだろうけど。

 

5という既存の物語に無理やりくっつけたから破綻する、粗が出る、薄さが見える。作った人は無理やりくっつけたとすら思ってない気もするけど。

 

そんでもって、さらに言っちゃうと、その主題にドラクエが必要だったか、もかなり疑問になってくる。

 

こういう風に考えがいっちゃうと、もうドラクエをダシに使ったように見えてきてしまう。

 

で、ここまで来て、やっぱりドラクエへの愛は感じられない、となる。愛があったらこうはなってなかっただろう、となる。

 

原作への愛を感じないところに別の主題を持ってこられても、それも到底気持ちよく受け取れるものでは無い。簡単にいうと馬鹿にしてんのか?という気持ち。

 

では、原作があって愛を感じられる作品ってなんだろう?

 

ここからはあくまで個人的な思いだけど、そういう作品ってファンが見て「あぁ、そうだ自分たちは言語化や表現ができなかったけど、そういうことだよ。」とか「自分ですら気づかなかった作品への思いが一つの形として目の前に現れた」とかそんな感じなのよ。何よりもまず製作者の原作への愛が感じられるもの。で、それが今作にあったかというと無かった。

 

最初に言った通り作りはうまかったと思う。でもそれは表面上のもので、製作者の愛を感じられたかというとそれはなかった。今作を見た中でドラクエへの愛を感じられたの部分ってのは、映像がうまくまとめられたことで自分の中のドラクエ愛が顕在化させられたところ。作り手じゃない、それは俺の愛だ。俺たちがもともと持っているものだ。

 

それは見れば一瞬気持ちよくなる。自分の中の愛が目の前に現れたことで一瞬これはこれでアリなのか?みたいに思ってしまう感覚を出させられるけど、騙されてはいけない。本当に求めているものはそれじゃないよね。本来はまず映画製作者が強烈な原作愛を客にぶつけてくることで、客の持っていた愛が引き上げられ、ぶつかり合い、最高の空間が生まれる、それが原作アリのもののあるべき姿だと思うわけよ。今回のは俺側片方の愛が出てきただけ。

 

さらにいうと、上で5以外の楽曲を持ってきたのも無しでは無い、と言ったけど本来愛があればそれもドラクエ5から用意しない?普通。なんかそういうところも結局原作を知らないから・リスペクトが無いから雰囲気だけで適当に持ってきた様に雑に見えてくる。ちゃんと理由があって他から持ってきたことがわかるのであればいいけど、愛が感じられないから見えない。仮に理由があったとしても見えない。

 

原作への愛を言ってしまうと、じゃあ原作への愛が無い人は楽しめないじゃんと思うかもしれないけど、そんなことは無い。知らない人でもちゃんと愛を届けられれば、むしろ原作を見ようという気持ちを出させられるし、なによりもまずそこはプロなんだから見せ方のテクニックとしてみんなが楽しめる様にちゃんとやれという部分でもある。愛が邪魔になることは無い。それでも原作への愛がうっとおしくて受け入れがたい作品があった・あるよ、と言われたとしても、俺は「いやそれは本当の意味で愛が足りてないだけだよ」一蹴する。それだけ愛は大事なのだ。

 


あと、シンプルにラストの主題もうっとおしかった。

 

ゲームを好きでは無い人のゲームへの思い込みみたいなのを感じた。「ゲーム好きなやつってこんな感じなんやろ?」みたいに始まり、「いや、でもわかるよ〜。ゲーム面白いもんな!わかる〜俺も昔はやったもん!いいと思う!このご時世ゲームだって認められるべきものだと思う!な〜。お前はゲーム好きでええんやで」みたいな。

 

は?なんなん?お前誰…?ってなる。

 

何度も言うが、ラストは置いておいて、いやラストも含めて作りはうまかった。でも内容はペラペラだった。作りが上手いおかげで内容がペラく見えづらい気がしたけど、やっぱりペラかった。それを気づかせてくれるラストだった。ドラクエ5ウィキペディアと動画サイトに上げられている実況プレイを見て作りましたという作品。さらにそこになんかよく知らんゲームが好きでも無い人の勝手なゲーム好きへの説教と、それでもその説教をした相手にも好きになってもらおうとうする勝手な同調と厚かましさと浅ましさがくっついてくるという作品だった。

 

世の中の多くはこの作品を見てここまで考えずに、良かったと思うだろしそれでいいと思う。でもこういう自分たちみたいな人間はマスに対して少数であっても、たとえ原作ファンやゲーム好きではない一般のマスにこのブログみたいな文章や考えが届かないでも(むしろそのほうが自分もいいと思っている)、それでも人間どこかでつながっているもので、評判や評価という明確な形でなくても、気持ちというのは伝播するものだとも思う。

 

自分も見てすぐは、一瞬明確に悪く見えなかったけど、いざこの文を書き始めて気がついたらボロクソ言っていた。そんな作品だった。

 

ただ一つ、一つだけこの作品のパワーを挙げるとしたら、忙しくて時間も体力もなくて映画にも行けなかった自分がわざわざ映画館に観に行って、ずっと書けずにいたこのブログ記事を上げることができた、それだけのパワーは持っていた、自分としては凄まじい力だと思う。